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『かなしみ』を知るって大きいね~後編~

お母さまを失って100日が過ぎたころ、連絡が入りました。

父親に対してイライラをぶつける自分が嫌、きつく当たる自分が嫌、、、
私・・・おかしくなったのかなって思って。。。ふとあなたを思い出したから

私は、ずっと見守っていたこと、特別ではなく当たり前の悲しみの作業をされていることをお伝えし、
思いを1時間の2回向き合いました。

ご指定の場所は近所の珈琲チェーン店でしたが、一番奥の席に座り、彼女は泣きたい時に泣きました。

ずっと心からお母さんの死と向き合って泣けていなかった。目の前にある慌ただしい毎日に、悲しみを【仕方ない】と押し込めてきていた感情が
込み上げてこられ、吐き出されました。
また、思い込みという思考のトラップにかかっていたこと。ゆっくりひも解いていきました。

『あーーーやっぱり母を失ってつらかったんだ、悲しかったんだ・・・』

その日から、夜が眠れるようになったそうです。

彼女からのメールです。
グリーフで悲しんでいる人のお役に立てれるならと、HPでの掲載を希望されました。

菊池市在住 50歳代女性 (看護師)

私は今年の1月20日に突然に実母を亡くしました。83歳の母は要介護Ⅰの父の介護をしながら2人暮らしをしていました。
生前から延命処置は希望しない意思表示をしていましたが、死因は窒息で急だったので心肺蘇生を施されましたが甲斐なく亡くなりました。
母を寝ずの看病する事もなく逝ってしまいましたが、母にとっては一番幸せな最期だったと、自分なりに納得したように思います。
涙も出ましたが残された父の介護の問題がすぐのしかかり悲しんでばかりおれなかったのが現状です。
伴侶を亡くした父の思いも理解しなければと思いながらも、父に対し苛立ちを感じ、優しい言葉がかけられなくなりました。
自分でもこの苛立ちはなんでだろうと思いながらも、兄弟に自分の気持ちを話しては、自分の気持ちは誰も理解してくれないと段々と落ち込んで行きました。
苛立ちは日増しに酷くなり、職業は看護師なのに自分の父親に酷い態度をとりとり続ける自分が嫌で嫌で仕方なくなりました。
母の死後半年くらいに、過って同僚だった宮崎さんに思い切って相談してみました。
返ってきた言葉は「こうなると予測できていました」その言葉にびっくり。私は、何らほかの人と変わらない、自分は特別じゃないと思えるようになり、
その言葉に救われました。私はてっきり「頭がおかしくなった」「普通じゃない」とばかり思っていました。
職業上、緩和ケアも携わってきたのですが、残された家族の事は全然理解できていなかったのです。
たまたま宮崎さんがグリーフケアに携わっておられる事を知っていたから相談する道筋にたどり着いたのですが、もっと早くに相談していれば、
半年も酷い苦しみも軽くて済んだのではないかと感じ、このような心のケアをして頂ける場所が、皆に認知され、気軽に訪問し気持ちを話せる空間が是非必要だと痛感しました。現代の「駆け込み寺」的存在があれば、残された家族は、もっと自分らしさを失わず生きていけるのではないかと思います。

『かなしみ』を知るって大きいね~中編~

悲しみの果て

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